神がわからないからこそ知りたくなる…「シエナの聖カタリナおとめの対話録『神の摂理について』」を読んで
永遠の三位一体よ、あなたは深い海です。あなたを求めれば求めるほどそれだけ見出し、見出せば見出すほど、それだけ求めるようになるのです。
もくじ
永遠の三位一体
三位一体は永遠です。
人間とは違うのです。
「永遠」も「三位一体」も人間から離れたことです。
ですから、正直なところ私はわかったようでもいまいちピンときていません・・・。
それでも、聖書が語る神は永遠であり三位一体だと受けとめているのは、確かに聖霊の働きなのでしょう。
人間の考えでは説明がつかないことも神ならなさるでしょう。
神を信じる人にとっても「三位一体」は理解しにくいものです。
私の及ばない考えですが、「三位一体が人間の救いのためには必要だった」のではないでしょうか。
三位一体の神であることを私たちが知り、それによって示されたいことがあるのではないでしょうか。
深い海
神は人間が知るにはあまりに大きな存在です。
深い深い海…果て知れない海です。
把握することはとてもできない世界であるために神を恐れる気持ちもあります。
海は恵みをもたらしますが、きびしい面も持っています。
神は人間に対してきびしく接されるなと思うこともあります。
人間に何に対しても「いいよ」と言っていたら、人間はやりたい放題でしょう。
しかし、そのきびしさも人間をより良い方向へ向かわされるように用いられます。
どこまで潜れる海なのかわからないので途方にくれますが、それほど恵みも深いのだと思います。
悩み多い、罪の多い人間を救うには、人間には把握できないほどの恵みでなければならないのでしょう。
求めるほど見出し、見出すほど求めるようになる
神の考えは、人間には受けとめきれないので戸惑うことも多いです。
神の思いを知るのは難しいです。
少し「わかった!」と思っても、すぐにわからなくなります。
それでも、神を知りたいと思うからこそ少しでも「わかった!」と思える時があり、
少しでもわかったからこそ、
なお計り知れない神の考えを知りたいと心を向けて頭を使って神に向かうことができます。
最後までお読みいただきありがとうございます☆