本当の幸せな状態に近づく…「古代の著者による復活祭の説教」を読んで

【復活の水曜日】 
 

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『毎日の読書』「古代の著者による復活祭の説教」より
 
「父よ、わたしを信じる人々をわたしのいる所に、ともにおらせください。」
 
キリストを信じる人が天の国に受け入れられるには、キリストの足跡に従いなさい、とのことです。
 
「右のほほを打たれたら、左のほほをも向けよ?
そんなことしたら、相手はここぞとばかりに攻撃してくるんじゃない?
そんなの非現実的じゃない?」
 
そう、キリストの言葉や行いは「世の中の非常識」です!
 
人に優しくしたい、広い心で受けとめたい…
そう思っても、私はささいなことで怒り、イライラします。
そして、自己嫌悪におちいることをくり返しています。
 
私はおろかな理想を実現しようとしているのでしょうか?
そんなことを思わなければ、自己嫌悪におちいることもないのに…。
 
何がしたいのでしょう。
 
それでも、神と人を愛したい。
自分が愛してもらったのだから。
 
私がひとりでできることなど、どれぐらいあるでしょう。
いや、正確に言えば、今の私が「できると思っていること」でさえ、神から与えられたもの・人が助けて教えてくれたことです。
 
キリストの足跡に従うことは難しいと思っています。
 
「私のくびきは負いやすく荷は軽い」
そんなこと思えないんです...。
 
やっぱりツライです。
 
でも、神と人を愛したいのなら、キリストの足跡に従う道が必要なのでしょう。
 
それは、人には難しいことだから、そのお手本が私たちに示されたのだと思います。
 
「そのお手本」は厳しいようだけども、なんとかして私たちがついてこれるように気にかけて下さっているのですよね。
私たちが思っている以上に。
 
人はすぐ神のことを忘れてしまいます。
日々の生活に追われていますから。
 
人はすぐ自分以外の人への配慮を忘れてしまいます。
自分のことで精いっぱいだから。
 
自分を大切に思うのは自然なことです。
でも、自分のことばかり大切にしていたら、自分ひとりで生きていないのはなぜでしょう?
 
ともに生きているのは、ひとりでできないことがたくさんあるからだと思います。
 
神も人も互いに愛し合えるなら、世界はもっとすばらしいものになるのでしょう。
それが、人にとって、本当の幸せな状態だと思います。
 
難しいけれど、少しでも神と人を愛せるなら、思いを向けられるようになれば、良い方向へと変わっていけると希望を持っています。
 
 
最後までお読みいただきありがとうございます☆